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Kyo-to (キョート)

Author:Kyo-to (キョート)

線路を走るのは何でも「デンシャ」ぐらいのユルさで鉄道旅を通して出会った風景や人、古い駅舎や古い町並みを記録していきたいと思っています。時々、地元京都。
リンク、そして古い記事でもコメントなど、お気軽にどうぞ。

※万が一、写真を気に入ってもらえて、私的な保存などは構いませんが、改変・転載等は勘弁してください。


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2015-05-05 #11 END  郡中の町と郡中港駅  〔愛媛県〕

06 15, 2015 | 伊予鉄道

2 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 最終回
郡中線篇その4
郡中駅から郡中の町歩き

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最初の写真と共に、濱田屋さんというソースカツ丼で有名な店だそう

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明治22年築の藤村石油邸

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明治44年築、伊予農業銀行郡中支店として竣工した擬洋風建築物
現在は「郡中まち元気サロン・来良夢(コラム)」として利用されている

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昭和元年築、藤井内科医院

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、元文3年(江戸時代)築と云われる宮内小三郎邸

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戦後すぐの建築でいまも現役で営業中という、つたや旅館

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万延元年(江戸時代)に旅篭として建築されたという山惣商店

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郡中港(ぐんちゅうこう)駅

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1939年(昭和14年)5月10日、郡中駅からの延伸時に開業

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現在の駅舎は1981年(昭和56年)4月2日竣工

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郡中港18:14発の上りで18:38、松山市駅へ帰着

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松山市駅、駅ビルの いよてつ高島屋

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16:53着の郡中駅から、郡中の町歩き。駅の委託女性駅員さんがまた親切で気さくな方で、マップにパンフレット数冊、駅舎が好きだと言ったら昨年のスタンプラリーのスタンプ一覧表までひっぱり出してきてあれこれ下さった。おかげで2008年初訪問時には気付かなかった建築物に出会うこともできた。7年前と変わらずイイ町だったが、GWであることを忘れてしまうほどの人影のなさが気がかりになる。

そのまま歩いて18時過ぎに郡中港駅に到着。これで伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅が終わった。いつも自分でも思う。こんなことをして何になるのか、何が面白いのか。別に何もならない。だがやっぱり面白い。全部周ったのだからやり残したことはない、という充実感があるし、驚くほどその土地の空気に触れられる気がする。ただ、これで一日潰したせいで、かねがね訪れたいと思っている松山城へは今回も行けずじまいだった。

(最終日の旅につづく)

撮影日:2015年5月5日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #10  伊予鉄道郡中線 地蔵町、新川、郡中  〔愛媛県〕

06 13, 2015 | 伊予鉄道

2 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第10回
郡中線篇その3

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地蔵町(じぞうまち)駅

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1901年(明治34年)2月21日開業

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下り方面最後の列車交換可能駅

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駅前風景

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新川(しんかわ)駅

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1909年(明治42年)7月1日開業

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新川海水浴場まで歩いてみた

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郡中(ぐんちゅう)駅

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1896年(明治29年)7月4日、南予鉄道の終点として開業

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15:49、地蔵町駅。明治33年に伊予鉄道と南予鉄道が合併、郡中線となった翌年にできた線内では古株の駅だが、古い駅舎は残っていない。公園のトイレみたいなコンクリ駅舎が周辺の古い町並みから浮いていて残念だ。

16:06、新川駅。線路と完全に並走する県道22号線に張り付くように、薄く狭い駅舎が建っている。明治42年に新川海水浴場の利用客のために開設された駅らしい。駅から海は見えないが、スマホのマップで確認するとごく近いので歩いてみる。住宅街を抜けた先に砂浜が広がっていた。昼前に横河原線・鷹ノ子駅前のコンビニで買っておいたおにぎりに手を付けていないことを思い出し、海を眺めながら食べた。日中全線15分間隔の運転は駅訪問には好都合だが、食事のタイミングを計りかねてこんなことになってしまった。

新川の海辺で随分ゆっくりしたので、郡中駅に着いたのは16:53。2008年以来7年ぶりの再訪。駅舎も周辺も特に変化はなさそうだ。郡中線が南予鉄道として誕生した明治29年から郡中港へ延伸される昭和14年までは終着駅だった。南予鉄道は郡中の有志の面々が設立した鉄道だったそうで、誇りに満ちた立派な駅舎が在ったハズだが、現在の意図不明な意匠の駅舎からそうした歴史の重みが感じられないのを寂しく思う。

残り1駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #09  伊予鉄道郡中線 岡田、古泉、松前  〔愛媛県〕

06 12, 2015 | 伊予鉄道

3 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第9回
郡中線篇その2

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岡田(おかだ)駅

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1910年(明治43年)7月18日開業

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右横書きを左横書きに上書きした形跡がうかがえる

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手小荷物窓口もあったようだ

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駅前は狭い三叉路になっている


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古泉(こいずみ)駅

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1967年(昭和42年)3月9日開業

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駅南側にエミフルMASAKIという複合商業施設がある

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駅南手

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松前(まさき)駅

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1896年(明治29年)7月4日、南予鉄道の駅として開業

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14:57、岡田駅。郡中線のルーツ・南予鉄道開業時の出合(であい)駅を明治末期に移転、改名した形で開業した駅らしいが、過去二度の伊予鉄訪問でどうして見落としていたのかと恥じ入るような、味わい深い木造駅舎の残る駅だった。気付かぬまま建て替えられていたりしたら、悔やんでも悔やみきれないところだ。

15:14、古泉駅。昭和42年と郡中線内では最も後年にできた駅。南手一帯に大きな郊外型複合商業施設がひろがり乗降客も多かったが、そんな実態に見合わない小駅なのは、開業当初は想定していなかった環境変化ゆえなのだろう。かと思えば、交換可能駅を想定して島式ホームで開業しながら単線のまま今日に至っているという、何ともちぐはぐな印象の拭えない、ある意味興味深い駅ではあった。

15:31、松前駅。2008年、2010年に次いで3度目の訪問。何度見ても惚れ惚れする素晴らしい木造駅舎が健在で嬉しい。郡中線のルーツ・南予鉄道開業時に設けられた駅のひとつで、他の余戸や郡中の駅舎が改築されてしまった現在、最後の砦といっていい存在だ。今後も、一日でも長い存続を願わずにいられない。

残り4駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #08  伊予鉄道郡中線 土橋、土居田、余戸、鎌田  〔愛媛県〕

06 11, 2015 | 伊予鉄道

0 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第8回
郡中線篇その1

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土橋(どばし)駅

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1953年(昭和28年)4月15開業
真新しい駅舎は昨年2月に改築されたもの

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駅前風景

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土居田(どいだ)駅

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1930年(昭和5年)3月6日開業

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余戸(ようご)駅

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1896年(明治29年)7月4日、郡中線のルーツ・南予鉄道の駅として開業
今年3月に建て替えられた新駅舎

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2008年2月訪問時の駅舎

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鎌田(かまた)駅

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1967年(昭和42年)2月15日開業

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伊予鉄郊外線の全駅訪問、残るは松山市駅を起点に郡中港駅までを結ぶ全長11.3kmの郡中線11駅。3線とも松山市駅を発着しながら、この郡中線だけはルーツ(南予鉄道)を異にする名残りか、線内折り返しの単独運転を行っている。

下り方面最初の停車駅は土橋。何と、前日の夕方に高浜線と間違って乗った列車で訪問。写真もその時のもの。松山市駅へ引き返す列車を待つかたわら駅名標など色々撮っていたら、これは外国の古レールを再利用したホーム上屋の柱だ、と委託の女性駅員さんが手招きしつつ教えて下さった。押しなべて伊予鉄の女性駅員さんは気さくで親切だ。

14:04着の土居田駅からは再び時間軸に沿う。伊予鉄島式ホーム駅の標準様式の駅舎を備えた列車交換可能駅。並行する県道326号は絶え間なくクルマが行き交う。

14:22、余戸駅。2008年2月訪問時に存在した素晴らしい木造駅舎が建て替わったことは知っていたが、実際に目にするとやはり悲しい。他の人が愛想が悪いわけではないが珍しく朗らかな男性駅員さんだったので、ついつい旧駅舎への哀惜を伝えたところ、実を言うと私も残念に思っているんですよ、とこっそり開陳して下さった。
皮肉にも駅前風景、殊に「駅前美容室」の店名を残す廃店舗は、「貸店舗」の不動産管理看板まで7年前と変わらずそっくりそのままだった。

14:39、鎌田駅。東京の蒲田駅と同音異字だが規模は比ぶべくもない無人駅で、伊予鉄では珍しい掲げ方の駅名看板がなければ道路側からは見落としそうだ。

残り7駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日(一部4日)
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #07  伊予鉄道横河原線 横河原  〔愛媛県〕

06 09, 2015 | 伊予鉄道

8 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第7回
横河原線篇その4

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終点、横河原(よこがわら)駅

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1899年(明治32年)10月4日開業

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左の方が委託の駅員さん

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お願いして撮らせていただいた

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13:06、ついに横河原線終点の横河原駅に到着。当路線全駅コンプリートも嬉しいが、何より、駅舎が健在だったのが無上の喜びだ。当駅の所在地・東温市(とうおんし)が計画している横河原駅周辺整備事業の一環で建て替えがほぼ確実とみられているのだが、2008年2月の初訪問時と変わらぬ姿で迎えてくれた。
その辺どうなってるんですか、と委託の男性駅員さんに尋ねてみると、「だいぶ前から(建て替えの)話は来てるけど、全然さっぱりや」と具体的に何か進捗している様子はない。だが、予算総額9億円と伊予鉄渾身の新事業計画「IYOTETSUチャレンジプロジェクト」も先日立ち上がったことだし、いざ動き出したら全てはきっとあっという間なのだろう。

今回の旅の発端、というか動機のほとんどすべてがこの横河原駅舎をもう一度目に焼き付けておくことだったので、すっかり得心したようなところもあったが、13:29発の上り便で13:58着の松山市駅へ折り返し、郊外線最後の1線、郡中線の駅めぐりへ。

残り11駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #06  伊予鉄道横河原線 牛渕団地前、牛渕、田窪、見奈良、愛大医学部南口  〔愛媛県〕

06 08, 2015 | 伊予鉄道

0 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第6回
横河原線篇その3

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牛渕団地前(うしぶちだんちまえ)駅

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1970年(昭和45年)5月1日開業

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牛渕(うしぶち)駅

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1899年(明治32年)10月4日、田窪(たのくぼ)駅として開業
1966年(昭和41年)11月1日、現駅名に改称

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駅前から東を

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田窪(たのくぼ)駅

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1967年(昭和42年)1月1日開業

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駅の近くにある隻手薬師(かたでやくし)こと香積寺(こうしゃくじ)


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見奈良(みなら)駅

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1938年(昭和13年)9月4日開業
1981年(昭和56年)7月20日、8月の高浜線直通運転に備えて93m松山市方へ移転、列車交換可能駅に

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ショーケースに入った駅長は珍しい

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愛大医学部南口(あいだいいがくぶみなみぐち)駅

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1981年(昭和56年)8月10日開業
2015年(平成27年)3月31日に駅舎が新築されたらしい

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11:41、牛渕団地前駅。駅前からは団地らしいものは見受けられなかったが、あとで地図を見ると南手の県道209号を挟んだところに県営牛渕団地が確かに存在する。なら利用客も見込めそうなのに、駅は島式ホームが1本あるだけの簡素過ぎるものだった。それでも一応、有人駅。

かと思えば、11:58着の牛渕駅は平井駅と瓜二つの駅舎を備えながら無人駅。出札窓口跡があるから、もちろんかつては人がいたんだろう。明治32年開業時の田窪という駅名を昭和42年新設の隣駅に譲ったり、何だか不憫にも思えてくるが、鄙びた駅前風景も含めて味わい深いイイ駅だと思う。

12:15、田窪。ホーム向かいの住宅のカオスな庭先のほかに特に見るべきものはない小駅だったが、北久米駅の委託の女性駅員さんが勧めて下さった隻手薬師(かたでやくし)とかいう、駅の近くの寺まで歩いてみる。弘法大師創建の高野山真言宗のお寺で本尊は秘仏らしいが、仏像好きの血も騒ぐしお参りだけでも、と思ったのだけれど、まだこの時点では全駅訪問を本日中に終える確かな見込みがなかったので、駅めぐりを優先して門前で引き返した。またの楽しみにしよう。

12:33、見奈良。駅舎内のショーケースに、仁王立ちのフィギュアのマジンガーZ。足元に「駅長」とあってちょっとウケてしまったが、駅の近くのアウトレットモール内に今年4月にオープンしたアニメ・特撮フィギュア専門のおもちゃミュージアムとの連動企画らしい。有人駅で、ちゃんと血の通った駅長さんも別に居る。

12:49、愛大医学部南口。昭和51年の愛媛大医学部と付属病院の設立に伴って昭和56年に新設された、横河原線内で最も後年にできた駅。駅舎が出来立てのようだと思ったら、本当に3月に新築されたばかりだった。元はホーム1本だけの駅だったようだ。

残り12駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #05  伊予鉄道横河原線 久米、鷹ノ子、平井、梅本  〔愛媛県〕

06 07, 2015 | 伊予鉄道

3 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第5回
横河原線篇その2

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久米(くめ)駅

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1893年(明治26年)5月7日開業
1981年(昭和56年)4月22日、8月の高浜線直通運転に備えて172m松山市方へ移転、列車交換可能駅に

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駅舎から見たホーム

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鷹ノ子(たかのこ)駅

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1967年(昭和42年)5月7日開業

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とにかくすべてが狭い


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平井(ひらい)駅

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1893年(明治26年)5月7日、平井河原駅として開業
1902年(明治35年)6月1日、現駅名に改称

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駅近くの溜池


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梅本(うめのもと)駅
「四国がんセンター前」の副駅名を持つ

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1935年(昭和10年)5月1日開業
1981年(昭和56年)5月11日、8月の高浜線直通運転に備えて168m横河原方に移転、列車交換可能駅に

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駅の南方に建つ独立行政法人国立病院機構 四国がんセンター


10:32、久米駅。2008年2月以来7年ぶりの訪問。当時はここから浄土寺や繁多寺、石手寺を経て道後温泉までプチ遍路という、いま考えると意味不明な行動をとったが、もちろん今回は駅めぐりに専念、駅舎も駅周辺も特に変わった様子はなさそうなのを確認して次の駅へ進む。

10:49、鷹ノ子駅。住宅地の路地に無理矢理こしらえたような、すべてが狭い駅。驚くことに有人駅で、駅舎代わりの小屋も、律儀に設置されているトイレまで小さい。

11:07、平井駅。ここも2008年2月以来の再訪。小さな平屋建ての駅舎が健在でホッとした。明治26年の横河原線開業から同32年の横河原延伸時までは当駅が終点だったそうで、駅全体の佇まいもそんな気配がそこはかとなく漂っている気がする。ただ、現在の駅舎は昭和53年5月8日竣工と、かなり後年に建て替えられたものらしい。まったく関係ないが駅に着く直前に車内から土手が見えたので、川だと思って見に行ったらため池だった。

11:24、梅本駅。横河原線内は昭和56年8月の高浜線直通運転に伴って列車交換や列車編成数の対応のために移転させた駅が多いが、当駅もそのひとつ。さらにここは近年に駅舎も新しくしたようだが、何れもネットで調べても旧駅舎や移転前の風景といった画像がほとんど発見できないのは、僕の検索能力の低さを勘案してもどういうわけなのだろう。

残り17駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #04  伊予鉄道横河原線 石手川公園、いよ立花、福音寺、北久米  〔愛媛県〕

06 05, 2015 | 伊予鉄道

4 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第4回
横河原線篇その1

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石手川公園(いしてがわこうえん)駅

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1972年(昭和47年)6月14日開業

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石手川橋梁 2012年、土木学会選奨土木遺産に認定

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橋梁部分もホームになっている

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いよ立花(たちばな)駅

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1893年(明治26年)5月7日、立花駅として開業 1927年(昭和2年)3月1日、伊予立花駅に改称

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駅前の歩道橋から望む松山城


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福音寺(ふくおんじ)駅

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1968年(昭和43年)2月10日開業

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北久米(きたくめ)駅

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1967年(昭和42年)1月1日開業

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高浜線全駅訪問を終え、次は松山市駅を起点に横河原駅までを結ぶ全長13.2kmの横河原線へ。ここからは実際の訪問順と時間がリンクしている。松山市駅を発ったのは9:21だった。

9:23、横河原線内最初の訪問駅、石手川公園に到着。石手川を渡り終えてすぐのところにホームが1本あるだけの無人駅。面白いのは、石手川に架かるトラス橋の部分もホームである点。関西にも橋梁上がホームになっている阪神電鉄本線の武庫川(むこがわ)という駅がある。そのミニ版のように短い、しかもえらく狭いホームだ。昭和47年開業の駅と古いレンガ造りの橋脚が釣り合わないが、明治時代の路線開業時から永らく単に橋梁だったのを、後年の駅設置で無理矢理ホームに仕立てたということなのだろう。

9:40、いよ立花駅。やたら交通量の多い道路に面した、賑やかな場所にある駅だ。1965年(昭和40年)12月1日に廃止されるまではここから森松線という支線が分岐していたそうだ。あとで調べると、その交通量の多い道路、国道33号の駅から南方が廃線跡らしい。現在なら輸送需要を満たせそうな気もするのだが。車が途切れないので歩道橋を渡ると、案外近くに松山城が見えたので土地勘のない僕はちょっと驚いた。

9:57、福音寺駅。郊外線は3線とも日中は完全なパターンダイヤで15分間隔の運転だから、着いて次の列車までを滞在時間としてサクサクと駅訪問を進められるが、時間が足りないと思う駅もあれば、長く感じる駅もある。福音寺は後者で、駅舎も周辺も特に魅かれる要素がない。おまけに、駅前で迎えを待っているらしい女の子にやたら警戒されてしまい、なかなか駅舎写真が撮れずに苦労した。いや違うんですと説明するのもドツボだし、こんな状況が一番困る。

10:15、北久米駅。高浜線の山西駅や先ほどの いよ立花でも見た、独特の2階建て駅舎がホームの端に建っている。どうも伊予鉄島式ホーム駅の標準スタイルのようだ。話し好きの女性の委託駅員さんが、昔は2階部分に駅員が寝泊まりしていたと教えて下さった。

残り21駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #03  伊予鉄道高浜線 古町、大手町、松山市  〔愛媛県〕

06 03, 2015 | 伊予鉄道

4 Comments
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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第3回
高浜線篇その3

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古町(こまち)駅

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1888年(明治21年)10月28日、三津口(みつぐち)駅として開業
1889年(明治22年)7月20日、現駅名に改称

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1977年(昭和52年)7月18日竣工の伊予鉄古町ビルの一角が駅出入口

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路面電車を含む伊予鉄の全車両を扱う車両基地、古町車両工場併設


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大手町(おおてまち)駅

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1927年(昭和2年)4月3日、江戸町(えどまち)駅として開業
1953年(昭和28年)7月1日、現駅名に改称

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気付いた限りでは駅名標が3種類もある

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駅前が有名な市内線との平面交差(ダイヤモンドクロス)の舞台

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先の平面交差を高浜線車内から


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松山市(まつやまし)駅

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1888年(明治21年)10月28日、松山駅として開業
1889年(明治22年)7月20日、外側(とがわ)駅に改称、1902年(明治35年)6月1日には再び松山駅に戻るも1927年(昭和2年)3月1日に現駅名に改称

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中央改札口 地下にも改札口がある

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高浜線終点、ならびに横河原線・郡中線の起点駅

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2008年2月の初訪問時に入手したICカード
当時は郊外線のフリー切符がなかったため利用した


伊予鉄高浜線8つ目の訪問駅は古町。2008年2月以来の再訪。路面電車(城北線/大手町線)も発着、車両基地も備える伊予鉄の要衝駅。四国最古の駅のひとつとして軽便鉄道時代に開業した当時は三津口と称し、ここから三津まで途中駅はなかった。現在、そんないにしえを偲ばせる光景は特に見受けられず、駅舎はビルだし、車庫を出入りする車両をずっと見ていられるほどデンシャ好きでもないので7年前と同様、すぐ退屈してしまった。

2008年、2010年と2度訪問している大手町駅は、駅前で市内線の路面電車との平面交差(ダイヤモンドクロス)が見られることでつとに有名。ビルの谷間の相対式ホームはえらく狭く、JRや路面電車からの乗り換え客などで溢れるとちょっと怖いが、そんなところがまた便利と安全一辺倒でない昔の駅の匂いがして僕には魅力的に映る。

10ヶ所目の松山市駅で高浜線全駅訪問を完遂。ここから三津までが明治21年に開通した四国最古の鉄路。ゆえに当駅のルーツも確かに高浜線に拠るが、現在は他の郊外線2線、横河原線と郡中線の起点駅でもある。次回からは高浜線と直通運転を行っている横河原線へと歩を進める。
ところで、前日の松山到着時にまず当駅へ赴き、併設の「いよてつチケットセンター」でフリー切符購入と、7年前のICカードの払戻しを行ったが、対応が明るく親切ですこぶる好感が持てた。最初の印象でその後の旅の質が左右されかねないから、旅人にとっては些細なようで重要なことだ。

残り25駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日(一部5月4日)
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-05-05 #02  伊予鉄道高浜線 山西、西衣山、衣山  〔愛媛県〕

06 02, 2015 | 伊予鉄道

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2015年5月5日(火)、伊予鉄道郊外線全駅訪問の旅 第2回
高浜線篇その2

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山西(やまにし)駅

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1927年(昭和2年)11月1日 開業

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西衣山(にしきぬやま)駅

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1968年(昭和43年)6月10日開業

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JR予讃線と並走する区間にある駅

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駅の西で予讃線はオーバークロス

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衣山(きぬやま)駅

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1927年(昭和2年)11月1日開業

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駅の東、古町(こまち)駅との間は高架化されている

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高架区間の車窓風景

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伊予鉄高浜線5つ目の訪問駅は山西。2008年2月以来の再訪。駅も駅周辺の風景も驚くほど変わっていない。高浜線内で利用客が最多の駅だそうで、駅前の自転車の数の多さも納得がいく。それはそうと、何とこの山西も駅名標を撮り忘れている。バカだ。

今回が初訪問の西衣山駅は昭和43年と高浜線内で最も後年にできた、相対式ホームがあるだけの無人駅。南側をJR予讃線が並走しているのだが、駅滞在中にJRのデンシャは通らなかった気がする。近くのコンビニの、外で飼い主を待つ犬の寂しい鳴き声だけがあたりにこだましていた。

衣山駅も初訪問。先の山西と開業日が同じなのに中途半端にというか妙に新しい駅だと思ったら、駅東側の区間が高架化された1995年に100mほど西の現在地へ移転新築したかららしい。

残り28駅。

(つづく)

撮影日:2015年5月5日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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