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Kyo-to (キョート)

Author:Kyo-to (キョート)

線路を走るのは何でも「デンシャ」ぐらいのユルさで鉄道旅を通して出会った風景や人、古い駅舎や古い町並みを記録していきたいと思っています。時々、地元京都。
リンク、そして古い記事でもコメントなど、お気軽にどうぞ。

※万が一、写真を気に入ってもらえて、私的な保存などは構いませんが、改変・転載等は勘弁してください。


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2015-04-11 #05  加悦鉄道廃線跡サイクリング  〔京都府〕

04 30, 2015 | 加悦鉄道(廃線)

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2015年4月11日(土)、京都丹後鉄道(丹鉄)の旅 第5回
12:45到着の野田川改め与謝野駅

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ここから少し丹鉄を離れ、30年前まで走っていたという加悦(かや)鉄道の廃線跡を与謝野駅のレンタサイクルで辿る

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いかにも鉄道らしいカーブ

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加悦鉄道は丹後山田(現・与謝野駅)から加悦までの5.7kmを結んでいた

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廃線跡は、サイクリングロード「加悦岩滝自転車道線」として整備されている

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加悦鉄道の終点、加悦駅
加悦鉄道が開業した1926年(大正15年)12月5日に終着駅として開業

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当時の駅跡地に与謝野町役場加悦庁舎が建ったため、曳家工法で少し位置をずらせて移転、修復保存されている

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内部は加悦鉄道資料館として開放されている

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加悦鉄道はちょうど30年前の1985年(昭和60年)4月30日に営業運転を終了、翌5月1日廃止

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水戸谷駅

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加悦駅からさらに大江山ニッケル鉱山に続く貨物専用線が延びていた

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当時の橋梁らしい橋があった


野田川から改称された与謝野駅。ちょうど30年前の1985年の4月30日まで、ここから南西へ約6kmの加悦(かや)町を結ぶ私鉄の加悦鉄道が走っていた。当時の加悦駅舎と、SL広場という施設に車両も残るという。サイクリングロードとして整備されている廃線跡を辿ってみることにした。
与謝野駅にて観光協会のレンタサイクルをお借りしてこぎ出す。変速機がなく終盤ひどく堪えたが、200円と格安なのはありがたかった。

もういい加減走っただろうと少し疲れかけた頃に、加悦鉄道のかつての終着駅、加悦の駅舎が現れた。内部は無料の加悦鉄道資料館となっていて、写真では載せ切れないほど充実した車両部品などのアイテムが丁寧に保存されていたが、僕自身はこうした場ではいつも当時の風景を記録した写真パネルの方に魅かれてしまう。水戸谷駅という小駅を写した一枚などは、加悦鉄道を訪れたことはおろか似た体験をしたわけでもないのに、胸を掻きむしられるような郷愁を覚えた。僕が鉄道に求めているのはこんな光景なのだ。そしてそれはもう今やほとんど叶わない。

加悦駅舎をあとに、さらに大江山ニッケル鉱山へと延びていた貨物専用線跡を辿る。その先にSL広場があるというのだが、しかし思った以上に遠い。加悦駅舎に寄り道したとはいえ、与謝野駅を発ってからもうかれこれ1時間だ。

(つづく)

撮影日:2015年4月11日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO

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2015-04-11 #04  丹鉄 天橋立から与謝野  〔京都府〕

04 28, 2015 | 京都丹後鉄道(北近畿タンゴ鉄道)

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2015年4月11日(土)、京都丹後鉄道(丹鉄)の旅 第4回
12:29、特急「はしだて」3号の終点、天橋立駅に到着

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4116D 観光列車「丹後あおまつ」4号

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12:37、宮豊線下り普通列車229Dに乗車

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12:45、与謝野駅に到着

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北近畿タンゴ鉄道時代の「野田川(のだがわ)駅」から改称

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1925年(大正14年)7月31日、国鉄宮津線の丹後山田駅として開業

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与謝野駅舎


特急「はしだて」3号の終点、天橋立駅で下車。自由席はガラガラだったのでホームに出て人の多さに驚く。日本三景天橋立観光に訪れる人はみな指定席車両に詰まっていたようだ。留置線には国鉄色の381系「はしだて」、上りホームには出発を待つ観光列車「丹後あおまつ」4号の姿も。丹鉄となっても欠かせない要衝駅だ。

僕自身は今は天橋立駅には用がないので先を急ぐ。宮津駅で追い抜いた豊岡行き普通列車に乗り継ぎ、2駅先の与謝野へ。北近畿タンゴ鉄道時代の「野田川」から改称された駅だ。元は国鉄の「丹後山田」として開業、ホームの古い待合室など構内にその当時の面影を色濃く残す、線内で僕の好きな駅の一つ。国鉄時代の駅舎が残っていればカンペキなのだが、ひとまず駅名以外にさしたる変化もなく安心した。

(つづく)

撮影日:2015年4月11日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-04-11 #03  丹鉄 福知山市民病院口駅、特急はしだて3号で宮津  〔京都府〕

04 27, 2015 | 京都丹後鉄道(北近畿タンゴ鉄道)

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2015年4月11日(土)、京都丹後鉄道(丹鉄)の旅 第3回
宮福線下り107Dで11:10、福知山市民病院口駅

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北近畿タンゴ鉄道時代の「厚中問屋(あつなかとんや)」から駅名が変わった

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1988年(昭和63年)7月16日開業 ホームと待合室しかない駅

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JR山陰本線が並走する区間 JRの普通列車が通り過ぎていく

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駅出入り口脇の宮福線開通記念碑 前回2008年夏の訪問時は生い茂った桜の葉に覆われ気付かなかった

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上り110Dで11:27、再び福知山駅

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福知山駅から今度は11:51の5083M、特急「はしだて」3号に乗車

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宮福線内途中停車駅は12:04の大江のみ

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左手から現れる宮豊線に寄り添いながら宮津駅へ

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12:19、宮津駅到着

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宮津駅で連絡する豊岡行きの宮豊線下り229D(左)と西舞鶴行き宮舞線上り224D


福知山駅から、宮福線下り列車で一つ隣の福知山市民病院口駅へ。北近畿タンゴ鉄道時代に全駅訪問は済ませているので、今回の旅では京都丹後鉄道への衣替えと共に改称された駅を主体に周ろうという心積もりだ。その最初の訪問駅が福知山市民病院口というわけだが、北近畿タンゴ鉄道時代の張り紙がそのままだったり、待合室の天井もボロのまま、やはりというか当然というか、元の「厚中問屋」から看板が掛け替わっただけだった。だがまぁ、それはそうだろう。主要駅の福知山と違って、ホームと待合室しかないこんな無人駅まで気合いの入った改装が施されていたとしたら、逆に新事業者WILLER TRAINSの経営感覚を疑ってしまうところだ。

10数分の滞在で再び福知山駅へ戻り、今度はJR山陰本線から丹鉄の宮福線へ乗り入れ天橋立駅へ向かう特急「はしだて」3号に乗車する。今回の丹鉄の旅で利用しているのは、オンライン限定で販売されていた「丹鉄開業記念フリーきっぷ」。1,200円で丹鉄が一日乗り放題、乗り入れ特急も自由席なら乗車可能、という道理だ。マニアなら使わずにコレクションすべき類の切符かもしれないが、僕にそういう収集趣味は無いので、この週末2日分を予約購入してお構いなしに使用した。
ともかく、宮福線には改称された福知山市民病院口駅しか用がなかったので、特急で時間短縮を図れたのは幸いだった。もっとも、福知山市民病院口駅を訪問できる列車を待ったために最初の福知山駅到着からここまで2時間以上も要しているのだが。

(つづく)

撮影日:2015年4月11日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-04-11 #02  京都丹後鉄道 福知山駅  〔京都府〕

04 25, 2015 | 京都丹後鉄道(北近畿タンゴ鉄道)

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2015年4月11日(土)
いよいよ京都丹後鉄道(丹鉄)の旅を始める

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北近畿タンゴ鉄道時代の観光列車「丹後くろまつ号」は引き続き運行

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JR福知山駅舎内、丹鉄福知山駅エントランス

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丹鉄福知山駅改札窓口

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券売機

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運賃表 デザインはイイが視力の弱い方には文字が小さすぎるのではないだろうか

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乗務員の制服も一新、袖口にウィラーアライアンスのコーポレートカラー、ピンクのライン

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丹鉄宮福線、福知山駅ホーム

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駅名標 制服などとイメージが統一されている

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柱用の縦型駅名標

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11:07発の宮福線下り107D

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広告なども北近畿タンゴ鉄道時代のままのKTR100形

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乗客は少ない…

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車内広告が無い…

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福知山に到着。早速、京都丹後鉄道(略称:丹鉄)の旅を開始…といきたいところなのだが、如何せん北近畿タンゴ鉄道時代と変わらずダイヤが薄く(運転本数僅少の意)、適当な列車がないため1時間もインターバルを置くハメになった。まだ開業したばかりで難しいのだろうが、ここは何をおいても改善を望みたい。ともあれ、その間を利用して丹鉄宮福線の福知山駅を観察する。
丹鉄ホームにはナゼか時刻表にない観光列車「丹後くろまつ」号の姿があったが、回送か臨時列車だったのだろうか。

僕が北近畿タンゴ鉄道時代に宮福線の福知山駅を訪問したのは2008年の夏、もう7年も経ってしまっている。当時はJR側の駅高架化は済んでいたが北近畿タンゴ鉄道はまだ地上駅だった。なので単純な比較は僕には無理なのだが、多分、北近畿タンゴ鉄道の駅高架化完成時から大幅な変化はないのだろう。しかし、券売機から何からすべて「京都丹後鉄道」や「丹鉄」の文字が躍り、一見して何かが新しくスタートしたことがうかがえる。
ただ、そのテンションでホームに上がり、これから乗るべき普通列車が北近畿タンゴ鉄道の頃とちっとも変化のないくたびれた姿だったのを目にした途端、いくら古いもの好きの僕でもこの場合、正直戸惑いと落胆の色を隠せなかった。

(つづく)

撮影日:2015年4月11日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2015-04-11 #01  福知山へ  〔京都府〕

04 24, 2015 | デンシャ旅 -関西(JR)

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2015年4月11日(土)
JR京都駅、山陰本線ホーム

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8:00発、山陰本線下り231M福知山行き

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丹波口(たんばぐち)駅付近 五条通

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8:22、保津峡駅

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8:46、園部(そのべ)駅

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園部で車両の切り離し、前寄り数両が1125Mとなって福知山へ直通

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船岡~日吉(ひよし)間

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9:11、胡麻(ごま)駅

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1910年(明治43年)8月25日開業、郵便局併設の胡麻駅舎

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5003M 特急「きのさき」3号
5008M 8号と併せて9:25まで上下2本の特急退避

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下山(しもやま)~和知(わち)間

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9:57、綾部(あやべ)駅
5010M 国鉄色の特急「きのさき」10号

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車窓右手に福知山城が見えてきたら福知山駅到着はもう間もなく

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10:09、福知山
駅名標は福知山線ホームのもの

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福知山駅(南口) 1904年(明治37年)11月3日開業

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南口駅前のC11 40


2015年4月11日(土)、最新の旅行記。久しぶりの山陰本線で福知山へ向かった。
4月になってすぐ、地元京都のトピックスとして「さよなら、北近畿タンゴ鉄道」という記事を書いたのだが、「京都丹後鉄道」に看板が掛け替わってどうなったか、やはり自分の目で見たくなったのだ。

京都駅から山陰本線普通列車で福知山まで約2時間。前日10日まで春の青春18きっぷ利用期間だったのだが、ワザとそれを外して通常の切符で赴いた。京都~福知山間、片道1,490円。日帰りじゃないので18きっぷだと損というのもあるけれど、何より車内の混雑を避けたかった。18きっぷ利用時のこれまでの経験だと、列車の編成が短縮される園部からがキツイ。果たして目論見は奏功し、実際、こうも違うのかと驚くほど空いていた。
すこぶる快調な旅の滑り出しだったが、天気だけが面白くない。

(つづく)

撮影日:2015年4月11日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2010-03-20~03-22  JR飯田線、明知鉄道の旅 index

04 23, 2015 | 旅のindex

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2010年3月20日(土)

2010-03-20 #01  飯田線 牛久保、三河一宮  〔愛知県〕
2010-03-20 #02  飯田線 湯谷温泉、野田城  〔愛知県〕
2010-03-20 #03  飯田線 新城、本長篠  〔愛知県〕
2010-03-20 #04  飯田線 小和田、上市場、出馬、水窪  〔静岡県〕
2010-03-20 #05 END  飯田線 伊那八幡、飯田  〔長野県〕

2010年3月21日(日)

2010-03-21 #01  飯田の町歩きと飯田線 桜町、鼎  〔長野県〕
2010-03-21 #02  飯田線、完乗  〔長野県〕
2010-03-21 #03  ミニエコーで辰野支線  〔長野県〕
2010-03-21 #04 END  松本  〔長野県〕

2010年3月22日(月)

2010-03-22 #01  中央本線 奈良井駅  〔長野県〕
2010-03-22 #02  中山道 奈良井宿  〔長野県〕
2010-03-22 #03  明知鉄道  〔岐阜県〕
2010-03-22 #04  明知鉄道 DMVと岩村駅  〔岐阜県〕
2010-03-22 #05  ひなまつりの岩村  〔岐阜県〕
2010-03-22 #06 END  明知鉄道 明智駅  〔岐阜県〕


撮影日:2010年3月20日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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2010-03-22 #06 END  明知鉄道 明智駅  〔岐阜県〕

04 22, 2015 | 明知鉄道

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2010年3月22日(月)、5年前の春の旅、最終回

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12:27、明知鉄道終点の明智駅に到着

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1934年(昭和9年)6月24日、 国鉄明知線の明知駅として開業
3セク転換時に「明智」に改称

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明智駅舎

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12:53の便で折り返す

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13:42、恵那駅に戻る


岩村の町歩きのあとは、明知鉄道を終点まで乗ろうと明智駅へ。国鉄時代のものと思われる古い駅舎、車両基地の存在など明知鉄道のすべてが集約されたようなイイ駅だが、行き止まりの終点だ。大正時代には「遠美線」として、現在の天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)を経由して掛川までを結ぶ壮大な計画があったらしい。

そのまま折り返し便で恵那へ戻り、中央西線と東海道本線を乗り継いで京都へ帰った。恵那駅以降はどこで何に乗り換えたかといったメモ程度の写真しかなく、画像データを見ても夕方5時過ぎには京都に着いていて、何でそんなにあっさりした旅の終わり方なのかと自分でも驚いた。

だが思い当たるフシとしては、35mmフルサイズ機に50mmの単焦点レンズだけ(どうしても広角が要る時のために24mmをサブ)という、後にも先にもこの旅だけだったカメラシステムが挙げられるかもしれない。当時はカメラ歴もまだ3年目で、標準レンズと云われる50mmの「目(画角とその撮影感覚)」を養いたい、などと今から思えばどうでもいい、型にハマった意欲に燃えていたのだったが、しかし僕にとって50mmという画角は窮屈この上なかった。旅のあいだずっとストレスを感じていたのが最終日に疲れ果て、半ばリタイア同然で旅の幕を引いたとも言える。

5年もお蔵入りだったのは単に発表の機を逸しただけだが、上記のような理由でこの旅が、自分の目で見たのじゃないような、何だか全体的にぼんやりとした、印象の薄いものになってしまっていたのは確かだ。これまで旅の楽しさを増幅してくれていたカメラが、とんでもない足枷になることもあるのだと知る貴重な体験ではあった。

(終)

撮影日:2010年3月22日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D、Nikon Ai AF Nikkor 24mm F2.8D

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2010-03-22 #05  ひなまつりの岩村  〔岐阜県〕

04 18, 2015 | デンシャ旅 -東海(私鉄・三セク)

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2010年3月22日(月)、5年前の春の青春18きっぷ旅3日目、第5回
ひなまつりが催されていた岩村の町歩き

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明知鉄道岩村駅から予定していた岩村の町歩きを始めた。いまとなってはどのように岩村を知り旅程に組み入れたのか思い出せないが、メインストリートの伝建(重要伝統的建造物群保存地区)以外も町全体が古くてどこを歩いても楽しく、岩村駅でのDMV騒動の憤懣もすぐに忘れたほどだった。
最後に写っているネコは伝建地区のアイドルらしく、お店の方に名前も聞いたのだがすっかり失念してしまった。

(つづく)

撮影日:2010年3月22日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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2010-03-22 #04  明知鉄道 DMVと岩村駅  〔岐阜県〕

04 17, 2015 | 明知鉄道

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2010年3月22日(月)、5年前の春の青春18きっぷ旅3日目、第4回
このとき明知鉄道では、開発元のJR北海道から借り受けたDMV(デュアルモードヴィークル)の実証実験が行われていた

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タイヤと鉄輪のデュアルモードで道路も線路も走行できる
鉄道車両より安価で観光の目玉にもなると、明知鉄道は本格導入を検討していたらしいが…

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岩村駅舎
1934年(昭和9年)1月26日、 国鉄明知線の駅として開業

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明知鉄道を訪問、岩村駅で途中下車したところ、DMVの実証実験が行われていた。僕にとってはまったく偶然のエンカウンターだったが、今まさにタイヤ走行から鉄道モードへの移行が繰り広げられているとあらば見ずにはいられない。レール用の車輪が降りるのをカメラに収めようと見学制限ロープ際まで出たその時だった。僕は、背負っていたバックパックをグイと乱暴に引っ張られて後ろに引き戻された。最初は係員の注意かと思って謝りながら振り返ったが誰もいない。周りで迷惑そうに僕を睨んだりしている者もいない。狐につままれたような気分だったが、もう少し視線を遠くへ移してみて謎が解けた。三脚を据えて望遠レンズでDMVを撮影していた群れの誰かの仕業だ。もう誰だか分からないが、気配だけは残っている。

一応周囲には気を遣っていたつもりだったが、読み切れなかった僕が全面的に悪かったとしよう。にしても、無言で人を背後から排除するというのはどうなんだ。その特権意識はなんなのだ。あまりに頭にきたので手当たり次第に三脚を蹴散らしてやりたい衝動に駆られたが、元々DMVだってどうでもいいものだったから、アホらしくなってその場を去ることにした。
そんなワケで、明知鉄道にはまったく何の咎もないのだが、アケチと耳にしただけでこの嫌な記憶が甦る。

そのDMVだが、開発元のJR北海道自体がそれどころじゃない現状もあって導入を断念したそうだし、難題も多いようでいまだ普及には至っていない。

(つづく)

撮影日:2010年3月22日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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2010-03-22 #03  明知鉄道  〔岐阜県〕

04 16, 2015 | 明知鉄道

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2010年3月22日(月)、5年前の春の青春18きっぷ旅3日目、第3回
JR中央西線・恵那(えな)駅で、第3セクターの明知(あけち)鉄道に寄り道

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途中駅の岩村で下車

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何やら現れた


8:38、奈良井駅から中央西線上り1824Mで木曽福島や昨夏(2014年)大規模土石流災害の跡を訪れた南木曽(なぎそ)などを経て中津川(なかつがわ)に9:59着。10:08発の5720Mに乗り継いで10:19、恵那駅。ここ恵那を起点に明智までの25.1kmを結ぶ盲腸線、明知鉄道明知線に寄り道。かつて国鉄明知線だった路線で、JR化されることなく1985年(昭和60年)11月16日に3セク転換されている。

10:29、柵で仕切られたJR恵那駅東端のホームを発着する単行の気動車でまずは10:59着の岩村まで乗った。恵那駅から乗車待ちの行列で、連休にしてもいやに混んでいると思ったら岩村の町で雛祭りがあるのだそうだ。僕は岩村の駅舎訪問とその町歩きが目的の途中下車だったのだが、別の予想外のイベントの存在が思いがけず僕の明知鉄道への心証を害することになるのだった。

(つづく)

撮影日:2010年3月22日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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2010-03-22 #02  中山道 奈良井宿  〔長野県〕

04 15, 2015 | デンシャ旅 -信越(JR)

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2010年3月22日(月)、5年前の春の青春18きっぷ旅3日目、第2回
奈良井宿を訪問

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中央西線上り便で7:15到着の奈良井駅。次の上りが来る8:38までの時間で駅前から続く中山道・奈良井宿を散策。詳しい情報などは観光協会のHPを見ていただくとして、さすがにこんな時間ではお店も開いていなければ他にすれ違う人の姿もなく、好きに写真を撮り歩けるのは嬉しいのだけれど、ふと何だか現実感のない、時代劇のセットの中にいるような気になったりもした。
中山道・木曽路十一宿の中で最も標高が高いというのもうなずけるほど、空気が冷たかったのは肌で覚えている。

(つづく)

撮影日:2010年3月22日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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2010-03-22 #01  中央本線 奈良井駅  〔長野県〕

04 12, 2015 | デンシャ旅 -信越(JR)

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2010年3月22日(月)、5年前の春の青春18きっぷ旅3日目、第1回
ホテルの部屋からの松本の朝

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6:30ごろ、中央本線(西線)上り822M中津川(なかつがわ)行きに乗車

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7:15、奈良井駅で下車

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奈良井駅舎

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1909年(明治42年)12月1日、 国鉄の駅として開業

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2010年3月22日(月)、5年前の春の青春18きっぷ旅最終日。
松本駅から朝6:30ごろの中央西線上り始発列車に乗り、奈良井宿へ向かう。また塩尻方面へ戻るから、松本で泊まる意味は全くないのだが、好きな松本で清々しい朝を迎えられたので後悔はない。

7:15、奈良井駅に到着。奈良井宿は中山道六十九次34番目の宿場町。駅前からすぐ古い町並みが続いている。このころ既に中央西線は何度か乗車済みの路線で、かねがね奈良井宿を歩いてみたいと思った末の訪問だったが、さすがにこんな早朝から宿場町を観光に訪れる客は他にはなかった。

(つづく)

撮影日:2010年3月22日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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2015-04-04  橋上駅化する篠原、稲枝駅  〔滋賀県〕

04 10, 2015 | デンシャ旅 -関西(JR)

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2015年4月4日(土)
JR琵琶湖線(東海道本線)

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JR篠原(しのはら)駅

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車寄せの柱


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JR稲枝(いなえ)駅 仮設のプレハブ駅舎

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昨年9月7日訪問時の旧駅舎

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かつての駅舎は既に解体撤去されていた

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先週末、琵琶湖線(東海道本線滋賀エリアの愛称)の未踏駅をいくつか訪問中、ついに、というかやはりというか、篠原駅も橋上化されることを知って驚き、落胆した。
昨年、一足先に工事の始まった稲枝駅は既に旧駅舎は解体され、プレハブの仮駅舎での営業となっていた。
この区間に昔ながらの駅舎はもう安土(あづち)駅だけとなった。東海道線という大幹線にそのような駅が今日まで残っていたのが奇跡だったと思うほかないのだろう。


撮影日:2015年4月4日
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 + OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED12-40mm F2.8 PRO
+ OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

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2010-03-21 #04 END  松本  〔長野県〕

04 08, 2015 | デンシャ旅 -信越(JR)

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2010年3月21日(日)、5年前の春の青春18きっぷ旅2日目、最終回
辰野から16:47の飯田線下り245Mで再び岡谷、17:03の中央本線/篠ノ井(しののい)線下り441M松本行きに乗り換え

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前回書いたのは誤り 飯田線119系デンシャとの別れはこのときだった

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17:31、松本に到着

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松本駅西口(アルプス口)

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東西自由通路

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松本駅東口(お城口)

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東口駅前風景

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松本城

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ミニエコーを乗り終えた辰野駅から飯田線の列車で再び岡谷駅へ。これで辰野支線を乗り通したことになる。2日目の旅程としてはあとは松本まで行くだけだったので、岡谷から中央本線/篠ノ井線の列車に乗った。3年後の引退が分かっていたらミニエコーで塩尻へ引き返したかもしれないが、もちろんこの時の僕がそんなことを知る由もなかった。

岡谷から30分で松本に到着。いつも観光客でごった返しているイメージだが夕暮れ時の松本駅ホームは静かだった。橋上駅は好きではないのに、松本駅だけはナゼか許せる。ガラス張りの橋上部から北アルプスの山々や中央本線特急が並ぶさま、大糸線や松本電鉄(現・アルピコ交通上高地線)の列車が発着するのを眺めるのは楽しい。というか、2008年の初訪問以来、僕は松本という土地そのものが好きなのだ。
駅前のホテルにチェックインするより先に、その象徴のような存在の松本城まで歩いた。日も暮れて誰もいない。城にも特別興味はないのに、松本城だけは本当に美しいなと見る度に思う。

(3日目の旅につづく)


撮影日:2010年3月21日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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2010-03-21 #03  ミニエコーで辰野支線  〔長野県〕

04 07, 2015 | デンシャ旅 -信越(JR)

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2010年3月21日(日)、5年前の春の青春18きっぷ旅2日目、第3回
JR中央本線・岡谷駅

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岡谷からは15:33の中央本線下り1543Mへ

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2日間世話になった飯田線119系デンシャともお別れ

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上りの特急「あずさ」24号とすれ違う

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15:44、塩尻(しおじり)駅

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辰野(たつの)支線上り162M 「ミニエコー」ことクモハ123

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16:17発

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先ほど通った岡谷からの中央本線「新線」と分岐、「旧線」の辰野支線へ

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辰野支線から見た「新線」

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辰野までの途中駅は2つ 小野駅

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信濃川島駅

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左義長(関西では「どんど焼き」)の類かと思ったが、御柱祭のリハーサルのようだ

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16:37、162Mの終点・辰野駅

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飯田線の戸籍上の終点でもある

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辰野駅舎
1906年(明治39年)6月11日、官設鉄道の駅として開業
飯田線の前身・伊那電気鉄道(当時は電車軌道)が乗り入れたのは1916年(大正5年)11月23日

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駅前風景


飯田線の旅を終え、岡谷駅からはJR中央本線の未乗区間へ。と言ってもこの2010年の時点では俗に言う中央東線も確か未乗だったが、その前に少しややこしい「辰野支線」というのをやっつけておこうと考えたのだった。何がややこしいかといえば、元々は本線だったのがバイパスの新線が通ったために支線扱いを受け、列車の運行もまったく別系統となったことで、いわゆる「乗りつぶし」の手間が要るといった類の路線なのだ。

そんなワケで岡谷からまずは普通に「中央本線」として乗るとイヤでも通る「新線」を経由して塩尻まで赴き、1~2時間に1本の、別立ての辰野支線の列車に乗り換える。 「ミニエコー」の愛称の付いた、クモハ123という、僕は初めて見る車両だった。2013年に引退してしまったので現在はもう乗れない。塩尻~辰野間の20kmほどの短い距離を1両でピストン運転しているから「ミニ」な「エコー」なのかもしれないが、この個性的な車両のおかげでわずか20分間のショートトリップは存外に記憶に残るものとなった。この旅の本編を差し置いて、2013年の引退直後にミニエコーだけの記事化も済ませている。

(つづく)

撮影日:2010年3月21日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D、Nikon Ai AF Nikkor 24mm F2.8D

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2010-03-21 #02  飯田線、完乗  〔長野県〕

04 06, 2015 | デンシャ旅 -信越(JR)

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2010年3月21日(日)、5年前のJR飯田線の旅2日目、第2回
飯田駅から11:30の1427Mで飯田線の旅を再開

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11:39、元善光寺

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市田(いちだ)~下平(しもだいら)

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山吹(やまぶき)~伊那大島(いなおおしま)

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伊那大島駅付近

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上片桐(かみかたぎり)~伊那田島(いなたじま)

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12:17、七久保駅

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伊那本郷~飯島(いいじま)

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13:04到着の伊那市(いなし)駅で下車

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伊那市駅
1912年(明治45年)5月14日、伊那電気鉄道の伊那町駅として開業

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高校駅伝みたいなのが開催されていた

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伊那市駅から14:07の1431Mで伊那北駅 列車交換待ち時間での訪問

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14:33ごろ、伊那松島駅

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伊那松島~沢  天竜川

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14:37ごろ、沢駅

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沢~羽場(はば)

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14:47ごろ、飯田線終点の辰野(たつの)駅に到着

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15:00ごろ、1431Mの終点、岡谷(おかや)駅

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岡谷駅跨線橋から 雪が舞っている


飯田の町歩きの間に霧によるダイヤの乱れも解消されたようで、飯田駅から11:30の下り1427Mで飯田線の旅を再開。ひたすら南信地方、伊那谷とも呼ばれる天竜川沿いを北上する。途中、伊那市駅で下車して1時間ほど過ごしているのだが、不本意に乗り継ぎ待ちが生じるような運転系統の変わる駅でもないし、いまとなっては動機は不明。駅前からアーケード商店街がひろがる昭和な町の雰囲気を当時何かで見て、寄ってみたいと思ったのかもしれない。もっとも、町は高校駅伝(いま調べてみたら「春の高校伊那駅伝」という、かなり知られた大会らしい)で大賑わいで、ゆっくり町歩きを楽しめるような状況ではなかったのだけれど。

伊那市駅から次の下り1431Mで再び飯田線の旅に戻る。この1431Mは、理由は不明だが撮影データと当時の時刻表が合致しないので遅れていたと思われる。何れにせよそれから1時間もしないうちに飯田線の終点・辰野駅に辿り着き、あっさりと飯田線の旅は終わりを告げた。列車自体、ほぼすべての便が中央本線に乗り入れて岡谷まで直通しており、僕もそのまま岡谷まで乗ったものだから、心の区切りをつけたり達成感を味わう間もなく、余計にそう感じた。

(つづく)

撮影日:2010年3月21日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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2010-03-21 #01  飯田の町歩きと飯田線 桜町、鼎  〔長野県〕

04 02, 2015 | デンシャ旅 -信越(JR)

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2010年3月21日(日)
お蔵入りになっていた5年前のJR飯田線の旅2日目、第1回
歩いて桜町駅へ向かう途中にすり寄ってきて離れない人懐こいネコ

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桜町駅 飯田駅の0.8km東隣の駅

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1923年(大正12年)8月3日、私鉄の伊那電気鉄道の桜町停留場として開業

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桜町駅から9:15ごろ、上りの1424Mに乗車 霧のためかなり遅れていた

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飯田駅方面へ戻っている

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9:24ごろ、鼎(かなえ)駅で下車

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鼎駅

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1926年(昭和2年)12月17日、伊那電気鉄道の駅として開業

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駅前風景
これから町歩きを兼ねて飯田駅まで戻る

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天竜川の河岸段丘の上に飯田の町がある

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先ほど見上げていた段丘の上から鼎駅方面を望む

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坂を登り切ると何やら厳めしい建物が現れた

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飯田市立追手町小学校校舎 1929年(昭和4年)竣工、登録有形文化財

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飯田駅
1923年(大正12年)8月3日、伊那電気鉄道の駅として開業 現在の駅舎は1992年(平成4年)改築の3代目


2010年3月21日、5年前のJR飯田線、青春18きっぷ旅2日目。
宿泊した飯田駅前のホテルをチェックアウトしたのは、撮影データを見ると朝9時前となっている。随分とのんびりしていて自分で驚くが、濃い霧のためにダイヤが乱れていたのを思い出した。もともと飯田の町歩きを考えていたこともあり、急いでも仕方ないと考えたのかもしれない。

飯田駅から800mほどしか離れていない桜町駅まで歩き、遅れていた上りデンシャで鼎(かなえ)駅まで乗った。これでまずは見たかった2つの駅舎の訪問を済ます。そして鼎駅から町歩きを楽しみながら飯田駅まで戻る。飯田駅と鼎駅は河岸段丘に沿ってΩカーブを描く飯田線の対称の位置にある。面白いのでぜひ地図で見ていただきたい。
ただ、これは逆のルートを辿るべきだった。飯田駅と飯田の町は河岸段丘上の台地、鼎駅はいわば谷底にある。同じ歩くなら降りていく方が楽に決まっている。
ともあれ、かつて飯田藩の城下町として栄えたという飯田の町は古く、こんなことならもっと早起きして周るべきだと後悔するほど僕には楽しい場所だった。

(つづく)

撮影日:2010年3月21日
カメラ:Nikon D700 + Nikon Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

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さよなら、北近畿タンゴ鉄道

04 01, 2015 | 京都丹後鉄道(北近畿タンゴ鉄道)

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京都府北部の丹後地方を走る3セク鉄道、KTRこと北近畿タンゴ鉄道。本日、4月1日(水)から『京都丹後鉄道』に生まれ変わる。もちろんエイプリルフールではない。

経営改善のため上下分離方式を採り、公募で選ばれた大手高速バス会社のWILLER ALLIANCE(ウィラー・アライアンス)が設立したWILLER TRAINSを運行事業者として再出発をはかる形だ。僕も何度かお世話になっている、ピンクの車体と豊富なシートタイプで知られるWILLER EXPRESSの高速バス事業で培ったコスト管理や新たな発想で、赤字額日本一の3セク鉄道の汚名返上を期待したいところだが、早速、鉄道の名称以外にも大きな変更点が二つアナウンスされている。

一つは、これまでの「宮津線」の西舞鶴~宮津の区間を「宮舞線」、宮津~豊岡の区間を「宮豊線」とそれぞれ通称名を新設(宮福線はそのまま)。
そしてもう一つが、駅フリークの僕には少し寂しいハナシだが、7つの駅名が変更される。
07年と08年にKTR全駅を訪問した際の写真で、今後もう見れなくなってしまう駅名と共にどう変わるのか見ていこう。


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宮津線・野田川駅→宮豊線・与謝野(よさの)駅

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宮津線・丹後大宮駅→宮豊線・京丹後大宮(きょうたんごおおみや)駅

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宮津線・木津温泉駅→宮豊線・夕日ヶ浦木津温泉(ゆうひがうらきつおんせん)駅

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宮津線・丹後神野駅→宮豊線・小天橋(しょうてんきょう)駅


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宮津線・甲山駅→宮豊線・かぶと山駅

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宮福線・厚中問屋駅→同・福知山市民病院口(ふくちやましみんびょういんぐち)駅

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宮津線・但馬三江駅→宮豊線・コウノトリの郷(さと)駅


個人的には、旧国名を冠した美しい駅名と国鉄宮津線時代の木造駅舎が残る但馬三江が「コウノトリの郷」なんぞに変わってしまうのはいかにも3セク臭くて残念だ…。この調子だとそのうち駅舎も建て替えられてしまうのだろう。

地元京都の鉄道の話題なので前向きでいたかったが結局はいつものごとくネガティブかつブルーに。その流れで追記部分(下部の「続きを読む>>」)にも残り全駅のKTR時代の駅名標&駅舎写真を記録しておくことにする。


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