2007-初九州旅 #5 島鉄 諫早~南島原 〔長崎県〕
07 14, 2011 | 島原鉄道
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2007年10月7日、初の九州旅二日目は島原鉄道。
JR諫早駅の0番ホームが島鉄の乗り場&起点。
今もこの風景は変わってないようですが、
この時はもう現在は走っていないキハ20形が僕を待ってくれていました。
前日と比べて天気はイマイチでしたが、気分は晴れやかに島鉄の旅がスタート。

大三東(おおみさき)駅。
ホームからダイブできそうなくらい有明海がすぐそば。

大正2年の開業当時の面影を留める、南島原(みなみしまばら)駅の駅舎。
現在の島鉄の終点はこの一駅先の島原外港(しまばらがいこう)なので、
廃駅にもならずこの姿のまま残ってくれてるのは嬉しい限りで、
また再訪したい名駅舎のひとつです。

車両基地も備わる南島原駅。
キハ20もたくさん控えていて、壮観でした。

季節限定の観光トロッコ列車、「島鉄ハッピートレイン」。
この翌春の島原外港~加津佐間の廃止と共に消えてしまったので、
いま思えば乗っておけばよかったなぁ…
(つづく)
撮影日:2007年10月7日
カメラ:Canon IXY DIGITAL 900IS


★旅メモ(つぶやきレベルの回顧録)
残してたJTB私鉄時刻表・西日本版、第3号が見つかったのでダイヤが分かる!
今じゃ時刻表も大きな改正時に携帯版(コンパス時刻表)しか買わないが、
デンシャ旅黎明期のこの頃は何でも一応買ってみてた
そんなワケで、諫早駅から7:22発の105列車に乗車 キハ20形 2006
切符は確か、バスやフェリーも乗れて島原温泉入浴の特典まで付いた
3,000円の一日乗車券をJR諫早駅の自動券売機で買った
結局デンシャしか乗ってないが、当時終点の加津佐まで片道2,060円だったから
往復するだけでも元がとれた

キハ2006の車内 諫早駅で
連休で鉄ちゃんだらけだと思ったがガラガラだった

当時はキハ20みたいな古い気動車に乗れただけで珍しくて嬉しかった
いま調べたらこの2006は国鉄の譲渡車だそう

運転台
列車運転のシステムも理屈も今ではそれなりに分かってはいるつもりだけど、
この頃も今もずっと張り付いて見ていたいほど運転操作が面白いと思えない
そういえば最近ではこんな写真もあまり撮らなくなったな…

古部(こべ)駅付近
有明海(この辺は諫早湾)がチラチラとは見えるけど、
ここまで近づくのはここと大三東あたりぐらい

8:15ごろ、多以良町(たいらまち)駅で何度目かの列車交換待ち
日本代表の大久保嘉人(ヴィッセル神戸)など数多くの名選手を輩出した、
サッカーの名門・国見高校の最寄り駅で、ホームにも「サッカーの町くにみ」の碑が

島鉄湯江(しまてつゆえ)駅付近、内陸部に雲仙普賢岳が大きく見えてくる
朝もやに包まれて、神々しささえ感じる

8:39、南島原着
訪問したい駅舎だったので105列車がこの駅止まりだったのは好都合

8:49、110列車で島鉄本社前に一駅戻る 現在主力のキハ2500形 8:51着
フリー切符で上下線を組み合わせて一駅でも多く訪問するスタイルは
もうこの頃から既に取り入れていた
島鉄本社前駅は現在は無人駅だそうだが、この時は女性の駅員さんがいて、
簡単な売店もあったので新聞を買った覚えがある
旅先の土地の地方紙を読むのは面白いし、今も必ず買う
島鉄本社前から8:58、109列車に乗車 キハ20形 2003

109列車(左)を9:55頃着の原城(はらじょう)駅まで乗り、
10:01の上り116列車(右)でまた折り返している
原城の駅舎の写真もないし、今となっては我ながら意味不明な行動(汗)
写真だけでなく行程の意図も記録しておくべきだと改めて思う
ちなみに原城駅は廃止された区間の駅

折り返した116列車内では山側の車窓を楽しんだようだ
深江~布津新田、廃止された区間 普賢岳と稲刈りの済んだ田んぼ

10:49、再び南島原へ戻ってきた
11:06に118列車として諫早方面へ出発し、このあと僕も島原駅へ向かうが
どうも腑に落ちない行程で、何を考えていたのか自分でもちょっとイラっとする
今なら絶対、廃止される区間をもっと重点的に訪問するんだけど…