2007-初九州旅 #7 島鉄 終点・加津佐へ 〔長崎県〕
07 18, 2011 | 島原鉄道
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暑さに参ってしまってちょっと間が空いてしまいましたが、
2007年10月7日の初九州旅二日目は今回で終わり。
島原鉄道、当時の終点・加津佐(かづさ)へと向かいます。
写真は原城(はらじょう)駅に停車中のキハ2003を構内踏切から。
島鉄キハ20形の中でも、この2003は国鉄からの払い下げ車ではなく
島鉄オリジナルだったんだそうですね。

秩父が浦~安徳(あんとく)間から望む雲仙普賢岳。
20年前の1991年6月、43人の死者を出した大火砕流を伴う噴火活動の痕跡が
くっきりと窺えて、怖いぐらいでした。

終点・加津佐駅に到着。

周りは海水浴場やコンビニなど「何もない…」ってことはないんですが、
ナゼか寂寥感が漂う、行き止まりの終着駅でした。

途中下車した堂崎の港で遭遇した、天使の梯子。
堂崎を含む、島原外港~加津佐間は2008年4月1日をもって廃止されてしまいました。
キハ20形車両も同時に廃車になったそうで、今思えば路線も車両も、
もっともっと堪能しておけばよかった、と後悔しきりですが、
行かずに後悔するよりはよかったかな、と思うことにしてます。
(3日目へつづく)
撮影日:2007年10月7日
カメラ:Canon IXY DIGITAL 900IS


★旅メモ(つぶやきレベルの回顧録)
島原から12:11、下り201列車に乗車 キハ2500形
当時の時刻表では南島原で列車番号だけ119に変わるような形になっているが、
撮った写真とそのデータではキハ2016を車庫から引っ張り出してきて
乗り換えとなり、南島原12:18発が12:25ぐらいになってる
南線キハ20形運行特別ダイヤみたいなのがあった気がするがそれかもしれない

90年初めごろの普賢岳大噴火はニュースで何度も見て知ってたつもりだけど、
その山容を自分の眼で間近で見ると迫力とか全然違う
怖い、と感じると同時にここを離れず暮らし続ける人の気持ちも分かる気もする

火砕流、土石流で寸断された区間に新設された安新大橋を渡る
せっかくここまで力を入れて復興した区間が廃止されたのは切ない

廃止予定区間をキハ20形が走るということで沿線で撮り鉄する人々は随所で見かけた
この程度ならまだいいけど、半狂乱のお祭り騒ぎみたいなのはイヤなので、
僕自身は最終日とかは絶対乗りに来たくない

有馬吉川~東大屋あたり(だと思う) 対岸は天草や三角線が走る宇土半島

白浜海水浴場前あたり 間もなく終点の加津佐

13:35頃、加津佐着
無人の、なおざりな感じの駅舎

写真には写ってないけど周りはカメラを携えた人でいっぱい
廃止半年前でこうだから最終便とかどうなってたんだろう

駅のすぐそばが前浜という砂浜 右手の半島は岩戸山というんだそう
13:57、126列車で折り返す 車両はもちろん乗ってきたキハ2016

14:46、往路の車窓で見た集落と海が気に入った布津新田で途中下車
写真は駅から海へ歩き始めたところ

布津新田の港から普賢岳を
布津新田から15:35、下り125列車に乗車 キハ2500形

15:43、堂崎着 ここも集落と海が気に入って途中下車

堂崎駅前風景
廃止区間の沿線はちょっと寂しい、というか利用者自体が少なそう…

堂崎の港 駅からは結構離れていた
結局、廃止区間で途中下車したのは布津新田と堂崎だけ
南島原から南は本数が少ないとはいえ、もうちょっと何とかすればよかった…
堂崎から16:28、上り134列車に乗車 キハ2500形
17:03、島鉄本社前で下車、島原の町を再び散策
17:55、島原駅から上り202急行列車に乗車 キハ2500形

18:46、諫早着 島鉄の旅を終える
諫早駅前のホテルに連泊